9年目の耳鼻科医
ニートを経てから医学部入ったので現在38歳
独身
興味ないかもしれないけどちょっと自分語りから始める
高校卒業してストレートで地元の隣県の国立大学に進学した
この時点までは順風満帆、憂い無しの人生だった
ところが進学してすぐに学校に馴染めず引きこもりになってしまった
親に実情を隠しながら留年を繰り返してた
ぶっちゃけ完全にニートだった
でもそんな生活も続くわけもなく、最終的には退学になってしまった
実家に出戻ってすべてを失ったけど
むしろ隠し事がなくなったことで気分は晴れやかだった
これで真っ当なフリーターになれると思って俺はタウンワークで探したバイトを始めた
でも半年も続けてると大学生とか定職についてる奴らが羨ましくなっちまうんだ
高校卒業までは平均よりかは上の人生が待ってるって思ってたから悲しくなってしまうんだ
でも未経験、高卒、空白期間ありで見つけられる仕事は全部ろくなもんじゃなかった
高校までは生半可にちょっと自分は頭がいいのではと思ってたせいで
クソみたいなプライドが邪魔して応募できなかった
今はなき代々木ゼ○ナールだったが、入学テストや模試での成績優秀者なら学費が大幅免除になると書かれていた
この模試ってのは全国で行われているんだが、実は会場ごとに開催日にズレがあるんだ
そして先に受けた奴らは問題を持って帰ることができる
これ以上は言わないから察してくれ
とにかく俺は特待生枠で予備校に入ることができた
最終的には医学部に合格したんだから許してほしい
何なら予備校の「成功者の声」みたいな雑誌にクソ真面目に感想書いたし、べた褒めしてやった
代○ミにはマジで感謝しかない 今はもう潰れてるけど
ネタバレでワロタ
誹謗中傷でも嬉しい
つづき
予備校は授業は殆どビデオ視聴だった
いつでも見れて、授業の質も高かった
何より自習室がいつでも使えるのがデカかった
バイトしながらでも十分通えた
実家通いだったし、家に多少金は入れてるものの
趣味もたいして金のかからないものばかりでこの時期はどんどん金が溜まっていった
親には予備校に通っていることは言ってなかった
バイトを増やしてるだとかハロワ通ってるとか嘘ついてた
でも明らかに家に居ない時間が長すぎて色々疑われてた
こっちも勉強で疲れてるのに家帰ると問い詰められたり怒鳴られたり泣かれたり
正直この時期は心が休まらなかった
単にフリーターしているときのほうが平和だった
親は俺が非行に走ってる?とでも思ってたのかね
我ながらタイミングよく始めたと思う
他の浪人生とほぼ同じだけの時間がもらえたし、逆に1年以上かけてたらモチベが保てないような気がしてた
勉強を始めたことで俺は未来に向けて頑張っている感が得られてなんか満足してた
成績も伸びてるっちゃ伸びてた
こういうときって謎の万能感があって、合格するビジョンしか見えないんだよね
毎日辛かったけどあと○ヶ月だってカウントダウンしながら自分に酔ってたね
結論から言うとこの年の受験全部落ちるんだけど
わろたwwwwwwww
自分とは縁もゆかりもないど田舎地方国立大学に進学することになった
実際に親に受験のことを伝えたのはこの年のセンターの願書を出したときだったと思う
なんか色々言われたけどもう覚えてない
親には死ぬほど迷惑をかけたとは思ってるけど、正直もう嫌いになっていた
遠くの大学を選んだ理由の一つでもあった
俺が医学生になって、学費も引越し代も生活費も全部自分で出すって言ったら
親は手のひらを返したように嬉しそうにしてた
今思えば当然なんだけどね
大した用事もないはずなのに毎日家を開けていたフリーター息子が
いきなり医者の卵にジョブチェンジしてしかももう援助はいらないって言ってきたんだからな
でも当時の俺はもう親とは関わりたくないと思っていた
20代にもなってまだ反抗期を抜けきれてなかったんだと思う
同級生たち(年下)はみんな優しくて
学年全体のライングループやらファイル共有グループに入れてくれた
何も言わなくても過去問や授業プリントなんかを回してくれた
誤算だったのは医学生なら誰でもモテると思ってたのに全くモテなかったこと
俺が昭和の臭いでも放っていたんだろうか
あとお金の話をすると教科書は高いけど別にそこまでびっくりする金額ではなかった
国立なので授業料は年間50万程度、入学金も25万くらいだった
寮もあったが上下関係が厳しいと聞いていたので入らず
ド田舎なので家賃は1万8千円で原チャで通勤してた
バイトは塾講師
ここだと年をとっていたことが逆に評価された
確かに18歳の若造より20代半ばのほうが講師感はあるのかもしれない
6年生の国試直前まで顔を出していて
俺にとっては学生時代一番居心地の良い場所だった
自分の中では30前にまともな仕事に付けたことにほっとしていた
研修医といえば 激務 ブラック 薄給
といったイメージがあるかもしれないが全部がそうというわけじゃない
ただし意識の高い奴らが集まる都会の有名病院は
経験が詰める(=激務)
指導体制がしっかりしている(=仕事以外に講習やらが多い)
そして給料が安くても人が集まる
という状況なのでイメージ通りかもしれない
俺はというと大学の近くののんびりした病院で2年間を過ごした
年収は700万くらい、残業は月40~60時間、当直は月4~6回
休みはカレンダー通りだがお盆休みなし
医者って激務って聞くけどたいしたことないじゃんってこんときは思ってた
たまたま興味をもった耳鼻科も激務のイメージとはかけ離れてたし平和に過ごせると思ってた
(正確に言うとまだ後期研修医というヤツなのだが一般的には研修医は2年目までの前記研修医のみを指す)
専門医になるためには専門医試験を受けなければならず、
それを受験するためにはよくわからんが大学の医局に所属しなければならないらしい
この専門医制度ってやつが複雑で未だに俺もよくわかってないが、これを盾に若い医者は地獄を見ていると思う
大学の医局に入るということは俺の人事権は大学の教授が握るということらしい
これがまた薄給、激務だった
しかも仕事の内容は偉い先生方の尻拭いと雑用が8割を占める
上の先生が診療するんだが奴らは自分のケツを拭かないんだ
診療して方針を決めるんだが、カルテすら打たない、事務書類は一切埋めない
普段みてる患者が調子悪くなって救急に来ても電話すら取らない
入院中の管理も丸投げだった
俺は外来で患者に優しそうに話す上司先生の隣で診察内容をひたすらパソコンに打ち込む
新しい治療が始まることになったら患者を捕まえて同意書を取る
CT、MRIを取るって決まったらオーダーを入れてこれまた同意書を取る
上司先生がするのは次の予約日を決めるくらい もちろん実際に予約を取るのは俺だが
なんなら同意書に上司の判子押してスキャナーで取り込んでコピーして患者に1部渡すのも俺の仕事だった
こんなの医者の仕事なのか?と思いながらやってたが、事務職員含めその場に居た誰よりも
俺の時給が安かったから俺がやることになってたんだろう
入院が決まれば入院の同意書を取って家族に入院説明して
病棟に連絡して点滴やら指示やら出して
病棟で熱が出れば俺に電話が来るし、トラブル対応もすべて俺
それを奴らの世界では指導と言うらしい
時間外は毎回大量の面倒な書類を通さないと申請できない上に時給も安い
もちろんボーナスもなし
大学からの給料が雀の涙の代わりに外勤(要するにバイト)を紹介された
土日に日当直をしたり外来をしたりするんだ
こっちは何故かアホみたいに給料が良かった
でも大学も激務なのに土日もバイトだから本当の休みなんて2ヶ月に1日くらいしかなかった
世の中にはもっと良い医者の求人が溢れているのに
なんで俺はこんな苦しい思いをしているんだろうって毎日思ってた
でも専門医を取らないと今はよくても将来仕事がなくなると脅されて下働きをしていた
辛いのは今年だけ、楽になるからとも言われていた
だってやってたのは雑務ばっかりなんだから
耳鼻科としての専門知識なんてほぼなかった
そして2月頃に4月から某市中病院に行けと言われた
場所は大学が合った場所から隣の県だった
どうせもっと早く決まってただろうにギリギリまで言わないことにイラっとしたが
それでも大学から脱出できることの喜びが勝っていた
そして次の地獄が始まる
表面上だけかもしれんが上司はいつもいたわりの言葉をかけてくれた
ところが市中病院はヤバかった
俺が行った病院は自分と部長(50代)の二人しか居ないところだった
(あとから聞いたら前任者はパワハラで辞めたらしい)
俺の仕事は打って変わって医者らしいものだった
午前中は外来をして午後は検査、週3回手術の日もあった
でも俺は先程述べた通り耳鼻科としての実力はゼロ
勉強しながらこなすものの上司の手を借りなければならない場面はいっぱいあった
そのたびに最初は怒鳴られ、次に嫌味を言われ続けた
手術も二人で入るのだが、術中は終始怒鳴られっぱなしだった
昨年の激務の時期も含めて今まで体の不調なんて殆ど感じたことがないのに
毎日頭痛がする、吐き気がする、耳鳴りがする
自分が住んでいるのは大学からも離れた孤立無援の地
友達も近くに居ないし、両親とも疎遠 相談相手は誰もいなかった
しかも医学的には上司の方が正しいことを言っているのはわかっていた
自分が実力不足で迷惑をかけているという自覚もあった
勉強もしていたが、そんな付け焼き刃でどうこうなるものでもなかった
ここで卒業して初めてに近いくらい久しぶりに親と連絡を取った
というか取らざるを得なかった
身元引受人が居ないと退院させてくれなかったんだ
色々ありすぎて親とは最初ギクシャクしてたけど時間とともになんとなく落ち着いた
親ももう70近くなってて久しぶりに会ったら老人みたいだなって思った
その後大学の医局もやめて専門医も取れなくなったしなんなら今はもう耳鼻科としてすら働いてないけど
一般当直やらワクチン接種やら献血カーやらのバイトで食いつなげてるのが医師免許のすごいとこだなと思う
なんか色々あったけどこの生活がずっと続くなら楽でいいんだけどね
今も田舎の老人病院のほぼ何も起きない当直中で暇だからこんなの書いてるわけだし
まぁ人生一発逆転狙って医者になってみたけどダメなやつは何やってもダメなんだわ
おわり